国際芥川龍之介学会ISAS
International Society for Akutagawa [Ryunosuke] Studies

データーベース

【第15回オンライン大会報告記―コロナ禍と芥川龍之介研究の可能性

第1日目

第Ⅰ部 報告  章 瑋

コロナ禍の中、大会一日目は、本学会初の試みとして、チャットツールSlackとWeb会議サービスZoomを併用した形で、オンラインで開催された。全体総括は新潟大学の堀竜一氏、進行は上智大学大学院の木村素子氏が務めた。
 
会長である髙橋龍夫氏(専修大学)による開会の辞から始まり、第Ⅰ部、第Ⅱ部の研究発表、並びに第Ⅲ部として伊藤一郎氏(東海大学元教授)による講演が行われた。
 第Ⅰ部の発表者は今野哲氏(日本体育大学)、小澤純氏(慶應義塾志木高等学校)の二名で、司会は金子佳高氏(科学技術学園高等学校)。

 今野哲氏「「羅生門」の構成について-下人の行動と心-」は、下人の二度の暴力とその動因とされる下人の心の記述に注目し、「作者」が構成する下人の心 は、下人が体験した情動ではないという。また、語りと作中人物との間に、プロット化の圧力と下人の身体とのせめぎあいを指摘し、下人の二度目の暴力をプ ロットへの反抗と見立てた。小澤純氏「「羅生門」の〈情調〉と〈心理〉-森鷗外から志賀直哉へ」は、「羅生門」をめぐる多様な影響関係を参照しつつ、森鷗 外の“
asobi-mood”と志賀直哉の“moral of philistine”受容に焦点を当て、芥川が残した構想メモ・草稿類などの資料の分析を通して、鷗外・志賀それぞれの受容をめぐるコンテクストを掘り起こした。
 午後から始まった第Ⅱ部は、五島慶一氏(熊本県立大学)、胡逸蝶氏(武漢大学)の二名の発表が行われた。司会は奥野久美子氏(大阪市立大学)。

 五島慶一氏「「ジャン・クリストフ」と芥川龍之介」は、青年期の芥川がロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」から、自身の作品へと形象化していく具体例 として、大正五年九月の「創作」(『新思潮』)を挙げる。「ジャン・クリストフ」における点景人物の「シルヴァン・コーン」を、芥川が「創作」に拾い上げ た際に加えた改変が、芥川の芸術への態度を示すものだと指摘した。胡逸蝶氏「芥川龍之介「蜘蛛の糸」論−「悪人正機説」との関わりを中心に−」は、悪人が 救済対象となる「蜘蛛の糸」の素材と、親鸞に代表される浄土真宗の「絶対他力」思想や「悪人正機説」との関連性に着目し、「往生絵巻」をも視野に入れて、 真宗とその思想に対する芥川の理解と考え方の再検討を試みた。

 第Ⅲ部は、髙橋龍夫氏の司会で、伊藤一郎氏が「芥川龍之介の〈六朝書体〉」と題して講演した。今年五月に上梓された新著『龍之介の芭蕉・龍之介の子規』 (翰林書房)の第四部をもとに、芥川が一時期書いていた特徴的な〈六朝書体〉を、当時の文壇における文人趣味や、芥川の師弟関係や交友関係など多方面から 分析を加えた。

 各発表に対しては活発な質疑応答が行われた。また、Slackのチャット機能を活用することで、所定の時間だけでなく、閉会後も盛んに意見が交わされていたことを報告したい。



第Ⅱ部 報告  奥野 久美子
 

個 人発表の三人目、五島慶一氏「「ジャン・クリストフ」と芥川龍之介」は、ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」が青年期の芥川に強く影響を与えたことは 広く認識されているものの、その影響の及ぶ範囲、つまり作品等への具体的な反映については解明が進んでいないことから、芥川と「ジャン・クリストフ」の関 わりから説き起こし、芥川の「ジャン・クリストフ」への言及を丹念に拾い上げ、創作への影響について検証したものである。
 初読は大正三年であるが、その当初ほど感銘は強くさまざまに言及し、大正八年ごろから翌年にかけてその熱は衰退していくことが、芥川の言及から確認され たとし、また、「ジャン・クリストフ」が作品形象化されるまでには初読から時間を要し、あらためてその影響が創作として浮上してくるのは「第四次新思潮」 に参加し作家を意識し始めた大正五年ごろであるとした。
 このことを証する一端として、発表後半では、大正五年九月の「新思潮」に掲載の小品「創作」を分析。そこで言及される「ジャン・クリストフ」の登場人物 コーンの解釈が原作とは大きく異なることから、芥川が「創作」において自身の芸術への態度を占めるものとしてコーンを利用した、と指摘した。ほとんど研究 対象となることのなかった小品「創作」をこのように芥川の芸術観と結び付けたことは鮮やかな分析であった。
 質疑応答では、ロマン・ロランに傾倒した成瀬正一とのかかわりなどから、第四次「新思潮」という〈場〉に議論が及び、芥川を含め「新思潮」同人らがロマン・ロランをめぐって〈「白樺」ごっこ〉を楽しんでいたのでは、という解釈も提示された。
 個人発表の四人目、胡逸蝶氏「芥川龍之介「蜘蛛の糸」論―「悪人正機説」との関わりを中心に―」は、悪人が救済の対象となる「蜘蛛の糸」において、浄土 真宗の悪人正機説の影響があるのではないかということを論じたものである。倉田百三「出家とその弟子」による真宗ブームや、「蜘蛛の糸」のお釈迦様が、全 ての衆生を無差別に救おうとすること、「往生絵巻」とのかかわり、などを検証し、芥川が悪人正機説、中でもその思想における〈信心〉の重要性に関する教え から影響を受けた可能性が高いと結論づけた。

 質疑応答では、芥川家の宗派は日蓮宗であることから、日蓮宗とのかかわりや、同時代の禅宗ブームの影響をどう考えるか、などの問題点が指摘された。


第Ⅲ部 報告     髙橋 龍夫

 講演 「芥川龍之介の〈六朝書体〉」 伊藤一郎先生(東海大学元教授) 

2020年に出版された『龍之介の芭蕉・龍之介の子規』(2020・5  翰林書房)の第四部を踏まえ、スライドとともに、貴重な資料を実際に画面で紹介されながら、一時間にわたり講演された。まずは明治以降に小説家にも流行し た六朝書体についてその歴史的経緯とともに説明され、龍之介は漱石から継承していることを確認した上で、六朝書体を鎌倉在住の菅虎雄から学んだだけでな く、中村不折や河東碧梧桐ら龍眠会の雑誌『龍眠』による新傾向俳句との結びつきから、久米正雄を経由して身につけていった可能性を論じられた。そして、龍 之介の六朝書体には、書簡の相手によって変えたりする様々なヴァリエーションがあり、フォルムへの感心が先立っていたこと、文人趣味的な要素が強かったこ と、1920年頃から書に対する美的基準が変化して六朝書体が試みられなくなったことなどを、具体的な資料を示しながら論じられた。1910年代当時の、 文学と美術の交流の文脈の中で、龍之介が毛筆による表現をどのように受容しどう表出しようとしたのか、そしてそこにはどういった美意識が働きどう評価でき るのか、という龍之介の表現に関する問題意識を改めて喚起させてくれる大変示唆に富む講演内容であった。講演後には活発な質疑応答が交わされた。
 伊藤一郎氏は実証的な観点から日本の近世と近代文学研究の橋梁的存在であり、自ら俳句を詠み俳諧や近世文学にも造詣の深かった芥川龍之介の表 現行為や表現意識について、これまで貴重な研究成果をもたらしてきた。今回は、オンラインの恩恵として、伊藤氏が蒐集されてきた具体的な資料を直に画面上 で拝見しながら、そうした成果の一端をうかがうことのできる大変有意義な機会となった。

 

第2日目
 
全体報告   宮﨑 由子


学会2日目の12月20日(日)も引き続き、Slackを使った資料共有とZoomでの発表・質疑応答が行われた。
 第Ⅰ部は個人発表として、香川雅子氏(上智大学キリスト教文化研究所)による「芥川龍之介『るしへる』について――キリシタン史料からの分析と考察 ――」、松尾清美氏(専修大学大学院)による「『日本印象期』の訳者高瀬俊郎と芥川龍之介の接点について」が、五島慶一氏(熊本県立大学)の司会によって 進められた。香川氏は「るしへる」の典拠として神崎一作編『破邪叢書』第壹集の「破堤宇子」であることを明確にするとともに、日本人の悪魔解釈の独自性を 強調した。松尾氏は「舞踏会」の典拠の一つとされる『日本印象記』の訳者高瀨俊郎と芥川との関係について典拠を比較しながら考察し、「舞踏会」の重層的・ 複合的な世界観を明らかにした。第Ⅰ部の質疑応答を通して定説となっている主張・典拠に対する、より詳細な分析の有用性を感じた。
 昼食休憩を挟んで午後からの第Ⅱ部は、個人発表として小谷瑛輔氏(明治大学)による「芥川龍之介の遺稿『人を殺したかしら?』の諸問題」、庄司達也氏 (横浜市立大学)による「芥川龍之介『伝』・『年譜』考―太宰治、ストラヴィンスキー、モーパッサンに関わる『記述』をめぐる課題」が田鎖数馬氏(高知大 学)の司会で行われた。小谷氏からは、原稿の詳細な分析を通して、破棄の指示や抹消線、遺族によって「編集」された遺稿を巡る考察が行われた。また庄司氏 によって、芥川のストラヴィンスキーやモーパッサン受容の分析が行われ、「伝」・「年譜」作成時の記述に論者の主観が入ることについて問題提起が行われ た。原稿や芥川所蔵の書籍や書簡など、一次資料の丁寧な研究結果と考察が発表された。
 その後、15分の休憩を挟んだ第Ⅲ部では、Damaso Ferreiro氏(広島大学)の司会による「コロナ禍と各国における教育・研究の現状、芥川龍之介研究の可能性」と題して、金孝順氏(高麗大学/韓 国)、秦剛氏(北京外国語大学/中国)、管美燕氏(長栄大学/台湾)、乾英治郎氏(流通経済大学/日本)によるシンポジウムが行われた。まず発表者から、 各国の教育や研究の現状が報告された。コロナ禍のもと、講義や学会がオンラインで行われるようになるとともにデジタル資料の共有化の動きが進むなど、ネッ トを利用した教育形態の変化が著しい。特に日本では、2021年度の大学入試から「大学入試センター試験」が「大学入学共通テスト」と名称を変え、対応す る高校国語の対策授業でも読み取り問題における図式化されたメモや複数の文章の読み比べなど、よりデータ読み取りに特化した予想問題が増えた。現在は「羅 生門」が高校の定番教材として採用されているが、教育界における文学軽視の現状があり、今後の動きに注視していくべきである。さらに、昨年に放映された NHKのスペシャルドラマ『ストレンジャー~芥川龍之介~』などのメディアやサブカルチャーで扱われる芥川の神話化の問題も含めて、芥川に対する注目度が 高いことがうかがわれた。実際、学会後に行われた2021年1月の大学入学共通テストの現代文の問題には、芥川の「歯車」を参照して解答を選ぶ問題も出題 された。報告の中でも伝えられたように今後、生誕130周年・没後100周年を控えて、より論議や研究が活発化していくことと思われる。
 大会2日目は、松本常彦副会長(九州大学)による発表の総括と閉会の辞で締めくくられた。今後の芥川研究の展望と研究者のつながり、そして芥川を研究テーマとする意味と意義について考えさせられる有意義な大会だった。



第Ⅱ部 報告   田鎖 数馬
 

2日目第2部の発表は、小谷瑛輔氏「芥川龍之介の遺稿「人を殺したかしら?」の諸問題」と庄司達也氏「芥川龍之介「伝」・「年譜」考 太宰治、ストラヴィンスキー、モーパッサンに関わる「記述」をめぐる課題」であった。
 小谷氏の発表では、芥川の遺稿「人を殺したかしら?」を取り上げ、自殺直前の芥川が、この遺稿に注意の目を向けさせるための思わせぶりな言動をしていた こと、その言動に芥川最期の自己表現の意味を読み取ることができることがまずは指摘された。さらに、山梨県立文学館に所蔵される原稿を確認して、葛巻義敏 による原稿の切り貼りや加筆修正の跡が残されていること、そのため、葛巻が何かを伏せようとして原稿内容の改変を行ったと見なし得ることが論じられた。発 表後には、芥川最期の自己表現とはいかなるものであったのか、葛巻による原稿の改変の意図は何であったのかという点について、活発な議論が行われた。
 庄司氏の発表では、青森市公会堂での芥川の講演を太宰治が聞きに行ったと、多くの「伝記」や「年譜」の中で記されているが、確実に聞いたと断定できない こと、また、息子の也寸志の証言から、芥川がストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」を聴いていたと考えてしまいがちになるが、芥川がその曲を聴いていたわ けではなかったことが説明された。また、芥川龍之介文庫にあるモーパッサンのWorksシリーズの8冊の英訳本に捺印された赤いスタンプの日付は、従来、 芥川による読了日と考えられてきたが、読了日とは言えないことを、澤西祐典氏の研究を参考にして指摘した上で、芥川がモーパッサンの作品をどのテキストで いつ読んだのかについて検討された。発表後には、「物証として残された書籍であっても、また、多くの信頼すべき先行研究での報告があったとしても」、そこ で得られた知識を鵜呑みにするのではなく、「詳細な調査と分析」によって「研究を進める必要」があるとする本発表の趣旨が、質疑応答を通して共有された。



第Ⅲ部 報告   フェレイロ、ダマソ

第15 回国際芥川学会の二日目、2020年12月19日14時45分から16時45分の間に私が司会を務めさせていただいたシンポジウムが行われました。シンポジウムの共通テーマは「コロナ禍と各国における教育・研究の現状、芥川龍之介研究の可能性」であり、韓国、中国、台湾、と日本の4名の先生方が集まり、発表しました。
 まず高麗大学(韓国)の金孝順氏は、韓国における社会的距離維持の段階、またその距離維持は教育にどのような影響を与えるかを紹介してから、この状況下に置かれている芥川文学という研究分野にどのような可能性があるか、そしてどのような難点に直面せざるを得ないかを丁寧に取り上げていきました。
 二番目の発表者は北京外国語大学(中国)の秦剛氏であり、発表の題目は「『コロナ鎖国』のいまに振り返る芥川龍之介の渡航―故郷での案内人」でした。秦剛氏の発表は中国旅行の際に芥川龍之介に上海と北京を案内した、文筆者の村田孜郎と中国研究者の波多野乾一を中心に扱いました。秦剛氏は芥川の案内人の紹介の他に、芥川のテキストも引用し、さらに芥川の中国旅行に登場した様々の人物も加えて解説しました。
 その次に⻑栄大学(台湾)の管美燕氏は台湾の新型コロナウイルス感染状況及び感染対策を簡潔にまとめ、⻑栄大学のさまざまな日本の大学との交流や共同講座、日本文化関係のイベントを報告してから、台湾における芥川龍之介研究の進行状況、換言すれば、授業で芥川を紹介した教員の人数、芥川に関して研究した学生の人数を、アンケート調査に基づいて確認しました。
 最後に流通経済大学(日本)の乾英治郎氏は「芥川龍之介誕生130年・没後100周年」に関して発表しました。もう少し詳細に述べると、まず、2020年の新型コロナ国内感染の状況、またその影響によってオンライン化の実現性が高まった教育・研究の困難点をまとめました。その後、遡ってメモリアルイアーごとに芥川龍之介関係の展示会や出版物、雑誌特集を紹介し、今後、誕生130年・没後100周年に向けて、芥川が教科書から消える日が訪れる場合、芥川の知名度はどのように変化するか、また複雑な状況に置かれている芥川文学を守ために「国際芥川龍之介学会」はどのような役割を果たせばいいかという問いを立てました。
 4名の先生方の発表が終わって、様々な参加者から質問やコメントが上が りました。例を挙げると、小谷瑛輔氏から「文豪ストレイドッグス」などの海外での関心の持たれ方についての質問や、五島慶一氏から漫画を利用するのもありではないかとの意見、伊藤一郎氏から資料画像類の引用の在り方について、学会全体で資料所蔵館などに働きかけても良いのではといった提言がありました。


ご執筆者のみなさまのご協力に感謝申し上げます。
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